鎌倉時代には、各地と幕府所在地の鎌倉を結ぶ幹線道路がつくられました。それらを総称して「鎌倉街道」と呼びます。今日のように特定の道を示す固有名詞ではなく、鎌倉から伸びるたくさんの道を指していたのです。
鎌倉幕府はこうした道を各地に整備しましたが、まさかこの道を使って倒幕の軍勢が鎌倉に押し寄せるとは考えてもみなかったでしょう。1333年、この道をたどって上州から押し寄せた新田義貞は、現在の府中市分倍河原で幕府軍を破り、鎌倉幕府を崩壊させました。
この古道の切り通しは僅かな距離が保存されているにすぎません。しかし、国の史跡に指定されており、周囲の雑木林、隣接して武蔵国分尼寺跡とともに今後も歴史的保存緑地として保護の対象とされています。隣接して黒鐘公園(府中市側は武蔵台公園)があり、武蔵国分寺も近くにあります。