スギという名前の語源は「直ぐ木」からきているといいます。確かに、普段私が出会うスギの樹は真っ直ぐに伸び、素直な姿をしているものばかりです。しかし、これはいわゆる「表杉」、太平洋側の雪の少ない地方の姿であり、「裏杉」、豪雪地帯に多いスギの姿は、太平洋側のスギの姿とはまったく違っています。
豪雪地帯では、雪の重みで樹はたわみ、枝は大地に押さえつけられます。冬ごとに地に伏す枝からは新たな根が生え、横に広がった樹形になっていきます。これが伏条台杉と呼ばれるものです。このような裏杉の樹形は用材調達に適していたため、鎌倉時代以降、人工的に伏条台杉が仕立てられていき、京都の建築に利用されますが、やがて現代的な挿し木による植林技術が発達するにつれ、伏条台杉は利用されなくなり、放置されたものが、現在に残っているといいます。
今回のオフ会での最大の目玉は、京北町の片波川源流域。生憎の雨の中、森の中に分け入った私たちを迎えたのは、美しく鮮やかなブナの芽吹きと、その中にそびえる巨大な伏条台杉群でした。はじめて見る裏杉の圧倒的な迫力に、息を呑んだものです。上で、表杉を素直な姿と表現しましたが、それに対する裏杉の姿は、荒々しく、奔放という言葉が出てきます。しかし実際には奔放というのは適当ではないでしょう。長い年月の、雪との戦いのなかで得た風格というべきなのかもしれません。とすれば、表杉の均整の取れた美しさは、苦労を知らないからとい言い方になってしまいますが。
ここで感じたことのひとつは、本来の「森」とはこういうものだ、ということです。高度成長期以降、日本の山林は拡大造林政策によって、針葉樹だけの森がたくさん生まれました。しかし、単独種による森林には多様性がありません。動物が食べる木の実はならないし、一年中暗い地表には草が生えなくなります。流れ出す土を補うべき広葉樹の落葉腐葉土も供給されません。根張りに広がりのない針葉樹は、傾斜地での土砂崩れにも弱いため、災害時の被害を広げてしまいます。しかし、この森はブナなどの広葉樹主体の森に、伏条台杉が点々と存在しています。シカやクマも現れるというこの森は、健全な生態系が生き残っているように思えるのです。その中では、とかく特別扱いされやすい巨樹群の存在も、自然なものとしてあるように感じました。