府中市には戦前、軍需燃料を確保する目的で陸軍燃料廠がありました。ここでは石炭を液体燃料にする研究などがされていたようですが、成果はあがらなかったようです。戦争末期には、この基地や東芝工場などが爆撃の標的になり、府中市民にも被害が及びました。
戦後、ここをアメリカ軍が接収し、空軍の司令部機能を設置しました。航空自衛隊の創設後は、自衛隊の航空総隊(戦闘部隊の司令部)も置かれています。
米軍基地はその後、「関東計画」と呼ばれる基地の集約化が行われ、横田基地へ移転しました。府中基地は自衛隊使用部分と通信施設を残して大部分が返還されることになり、現在では大規模な公園や文化施設等が設置されています。
その中でも、この平和の森公園は、米軍完全撤退以前に真っ先に開設されました。その経緯については資料が乏しくて分かりませんが、ちょっとした緑の広場を市民に提供しています。その中心にあるのが、この姿の美しいエノキです。
最近、基地跡地の開発が進行するのを見ながら思うのが、米軍基地の存在というのは、基地敷地内の緑地乱開発を抑止する機能があったのではないか、と思います。実際、近隣の府中の森公園にはケヤキやヒマラヤスギの巨木が残されています。このエノキも、基地の恩恵を受けて生き延びてきた、と思います。もし、米軍による接収がなければ、もしかするとこのエノキは早々に伐採されていたかも知れません。調布基地跡地では米軍住宅跡に育ちつつあった森が、開発のために皆伐状態にあります。
この公園にはほかに、府中市とオーストリア共和国ウィーン特別市のヘルナルス区との友好都市協定締結を記念したボダイジュがあります。まだ小さな苗ですが、友好関係とともに大きく育ってほしいものです。