野間の大ケヤキから車で10分ほど、国道477号線沿いにある歌垣小学校の手前から、ゆるやかな参道を昇ると、天満天神社(倉垣天満宮とも)の社殿に行き当たります。社殿の背後には、鬱蒼とした社叢林があり、どこかの神社の改築に使われたらしく、数本のヒノキの樹皮が剥がされ、真っ赤な幹をさらしています。
その社殿向かって右手に、目的のイチョウがいます。幹周9m、樹形からすると、2本の合体でしょうか。
京都・北野天満宮の分社という倉垣天満宮。もともとは歌垣山の上にあったのを、1584年に現在地に移転したといいます。当時の記録には、すでにこのイチョウは千年を経たくらい大きいと表現されているようですが、現在、このイチョウの推定樹齢は400年と考えられていて、だとすれば移転当時、まだ存在してなかったことになります。どちらが正しいのか。このイチョウは、あるいは先代のイチョウの後継樹か、あるいはひこばえなどの生え変わりなのか。ちょっとした想像を駆り立てる存在ではあります。