旧細川邸というと、熊本の大名。赤穂浪士の討ち入りの後、大石内蔵助介らが切腹をした場所は、東京都の史跡として、このシイの近くに残されています。
シイは切り立った崖の上(都内なのに!)にいました。初めて訪れた時、私は西側崖下の桜田通り(国道1号)側からシイに会いにきたのですが、周囲を見回しても、高台の上に至る道が見つかりません。目の前には「高輪支所」と書かれた大きな建物が邪魔しています。そもそも、初めて来た人間にとって、単に「高輪支所」と書かれた建物は、何の支所かも分からず、随分不親切な建物だな、と思ったものです。
しかしまあ、ここで何か教えてもらえるかも知れない、と中に入ると、建物の中を通って高台側へ抜けられることが分かり、ようやくシイに会うことができました。
シイはかなりくたびれた様子でそこに居ました。しかし、以前の写真ではヤニが至るところから出ていて、枝葉もほとんどない、悲惨な状態だったので、これでも健康を取り戻しつつあるのだ、ということが分かります。枝が球状にまとまっているのは、ほとんどが新しい枝である証拠です。
2度目に訪れたのは12月の日差しの穏やかな日でした。シイの低い枝には野良猫が陣取り、日向ぼっこをしながら、「何しに来た」という顔で私を睨みつけてきました。何ともとっつきにくそうな猫。シイの樹も、そういえばどことなくとっつきにくい感じ。歴史を見つづけてきた証人に対する、現代人の仕打ちに憤りを感じているのかも知れません。なにしろ、この高台は住宅地で雨水も地下に浸透しそうにありません。日当たりは以前の写真より良さそうですが、水はどうしているのだろう、気になってしまします。
最近「高輪支所」の地下に地下鉄の駅が新設され、シイに会いに行きやすくなりました。時間があれば、ぜひ会いに行ってあげてください。