日蓮上人ゆかりの清澄寺。本堂の前には広い空間があり、その奥に大きな杉が待っていました。何の予備知識もなく訪れた清澄の大杉の姿は、正直に言えば期待はずれでした。太さや高さは申し分のない巨樹なのですが、その樹形にはまったく迫力がなく、元気がない、寂しい、というキーワードが浮かんできます。清澄寺の猥雑で観光化された雰囲気も、私の感情にいい印象を与えなかったのだろうと思います。こんな山奥なのだから、本来は密教的なお寺だったのだろうに……。
あとで知ったのですが、この杉、かつては同じ大きさの杉が南側(写真の右方向)に並んで立っていたのだそうです。それが1954年、台風によって倒伏。この際、現存する大杉の幹をなめるように倒れたのだそうです。迫力のない枝振りには、理由があったのです。
樹形のことは忘れましょう。近づいて見ると、その太さは半端ではありません。あまりに周囲が開けすぎているために、遠くからの印象で馬鹿にしていたのかも知れません。南側の幹には痛々しい傷跡が残っていますが、裏側に廻ると、そのごつごつした樹皮の陰影、苔の着生がこのスギの歴史を語ってくれるようです。すぐ東側の斜面の下からも、ただものではない太さのスギが何本もいるのですが、大杉を前にするとまるで若者になってしまいます。