スギの名の由来は真っ直ぐな樹、つまり「直ぐ(すぐ)」から来ているといいます。名のとおり、ほとんどのスギは天めざして真っ直ぐに伸びていきます。
そんなスギの巨樹は、1本でも迫力を感じます。それが3本まとまっているとなると、壮観と言うべきでしょう。
JR青梅線の終点、奥多摩駅の周辺ははかつて、すべて奥氷川神社の境内であったといいます。氷川神社と名のつく神社は多々ありますが、この奥氷川神社がすべてのはじまりであると言われています。大宮にある氷川神社は有名ですが、その大宮と奥多摩を直線で結ぶと、中間には所沢の中氷川神社があり、これらが等間隔で設置されていることが分かります。
さて、話を奥氷川神社に戻します。狭くなった境内ですが、その境内には何本ものスギが聳え立っています。それらはどれも背が高く、かつ相当の太さを持っています。その中で、誰もの目を引くであろうスギは、写真のスギでしょう。遠くからは、3本のスギが狭い間隔で並んでいるように見えます。しかし近づいてみると、3本は根元付近で癒着していて、完全に一体となっているのです。
1本1本のスギとしては、確かに高尾山やあきる野・青梅にいる巨杉には太さで敵うものではありませんが、3本まとまった強さ、胸高の幹周では7mを越え、高尾山の飯盛杉に次ぐ太さとなります。さらに注目すべきは、その高さ。1969年にはその高さは49.3mあるとされ、現在も東京で最も背が高い樹だとされています。
よく言われる言葉に、三本の矢というのがあります。1本の矢は折れやすいが、3本に束ねれば折れにくい、というものです。立ち木にもそれは言えるようで、新宿御苑のユリノキなどは、その高さにもかかわらず、3本が三角に配置されて植えられ、お互いが強風から庇いあって今の大きさに育ったといいます。氷川の三本スギも、3本が密に寄って立つからこそ、今の高さがあるのではないかと思われます。
密に寄りすぎているために、枝の広がりはほとんどなく、少々寂しい気もします。上のほうには既に白骨化した枝も見られます。また、奥氷川神社の周囲は石灰石を運び出すダンプカーの排気ガス濃度が濃く、大気汚染に非常に弱いスギにとっては厳しいことも間違いありません。こうして見るとマイナス要素も多く見られますが、700年を越える奥多摩のシンボル的存在、これからも長生きしてほしいものです。